「……泣いてるの?」

 昔より少し低くなった声が僕の頭上に降り注ぐ。

 チームメイトにすら何も言わず、結局僕はお母様との思い出の詰まったこの庭園に戻ってしまった。一人になる時間が欲しくて、少し寂しげな冬の庭園でしゃがみ込む、僕の背中は小さくて弱者の背中そのものだった。こんな姿誰かに見られたらそれこそ恥ずかしい、だからここまで逃げてきた。

 なのに、何故? こいつはいつもいつも、僕の弱い所を見つけてしまうんだ?

「別に……泣くって普通の事だよ? 隠す必要無いじゃん」
「……」
「俺もね、今日ずっと待ち望んでた瞬間に出会えて、嬉しくて泣いちゃったんだ。だから、泣く事なんて普通だよ。日常に埋もれてしまった特別な感情に出会う、そんな小さな事で涙は生まれるものだから」
「僕は、分からない。自分が今何を考えているのかが。どうしてこんなに涙が止まらないのか……。敗北の痛みは周りの人達みたいに自分の糧と変える事が出来るのだと思う。でも、何かが引っかかるんだ。何かを、僕は何かを失ったような気がして……――」

 自分でも何を言っているのか今一つ分からない。
 ただ、お母様が亡くなった時以上に、僕の心はどうしようもない喪失感で埋め尽くされていた。

「赤司君のお母さんとの勝負が終わってしまって、自分とお母さんを繋ぐものが何も無くなった……って思ってる?」

 真っ直ぐな瞳が僕を捕らえる。
 お母様と僕を繋いでいた、この賭け。それが終わってしまった事を嘆いて、僕は今こんなに心が空っぽなのだろうか?

「そう、かもしれないな……。勝ち続けている限り、お母様は僕の事を見てくれるような気がしていた。だって、僕が負けてしまっても、お母様の、願いは……、もう分からないから、叶える事も出来ない……」
「……そんな事ないよ。赤司君はあの人の願いをきっと叶えられる」
「どうして……」
「俺が何で君のお母さんの事を知っていたか、ってこの前聞いたよね」
「ああ……」
「俺の家さ、転勤が多くてさ、東京に住んでたのは赤司君に会った小6の春から夏休みまでだけだったんだよ。あとは四国とか九州とか、北は北海道まで、色んなところを転々としてたんだ。それで、君のお母様に会ったのは、小5の冬だったんだ。ただの旅行で東京に来てた時だよ」
「……数日前に僕が何で会いに来なかったんだって言ってしまったけれど……、何か物凄く的違いな事言ってたんだな……悪かった」

 普通に考えれば、ちょっとの時間会っただけの奴の為に遠くからわざわざ来る事があるはずがないし、むしろ来ようと思う事すらなくて当然だ。

「いや、会いに行こうと何度も思ったんだよ。でも、さ、中学生の行動範囲なんて限られているし、高校生と違って稼ぐ術すら無いからね……。難しかった」
「……もしあの時言ってくれたら僕から会いに行けたかもしれないのに」
「うん、あの後ね、凄く後悔した。住所とか電話番号とか、何かしら渡せれば良かったのに。結局君は僕の名前すら知らないままだって気づいて……」
「まあいい……。東京に戻って来たのは高校からか? また両親の転勤で?」
「いや、俺は今一人暮らし」
「君のような男が一人暮らしか。親もさぞかし心配しただろうに」
「うん、物凄く反対されたよ。でも、東京にはどうしても会いたい奴がいたからさ……」

 苦笑する彼から白い息が零れる。
 もし、かして、いや、まさか……――

「あの、えと、物凄く恥ずかしい事を聞くが、東京に来たのって……」
「うん、君が居ると思ったから」
「……」
「……」
「……馬鹿じゃないのかっ!」
「えええー……、そんなに怒鳴らなくていいじゃん。その位会いたかったんだってー」
「そういう問題じゃないっ! 僕が他県に行ってる可能性をどうして考えなかった?」
「いや、だって、君が居なかったらこの花に水を与える人が居なくなると思ってたから……」

 あ……。
 確かにここを離れる事は惜しく思っていたけれど、そういえばこの花は今誰が世話しているのだろう。

 たまにこの地に戻ることがあるけれど、いつだって花は美しく咲いている。

「ここはお母様が任せられていた場所で、お父様もここについては干渉する事が無かった。お母様が亡くなった後は僕が世話をしていたけれど……」
「春に、ここに訪れたら、花達が今にも枯れそうになっていたから、勝手だという自覚はあったけれどど、それからずっと水やりに来てたんだ。最初の頃はここに来れば赤司君に会えるんじゃないかっていう思いもあったんだけれど、赤司君が京都に行ったって黒子に聞いてからは、この花は俺が守らなきゃっていう謎の使命感を感じてさ……」
「ごめん……。あと、この花達……、見捨てないでくれてありがとう。お母様が守っていた命、枯れないで本当に良かった」

 ずっと側に居てくれた花達。元気で居る術を残してくれて、本当に、良かった。

「ううん、ここの花々は赤司君との、あと君のお母さんとの思い出があるから。放っておけなかっただけだから」
「……お母様との?」

 お母様はあまり外に出ない人だった。考えてみれば、お母様外の誰かに会えるとしたら、ここか屋敷内の他ない。

「俺、さっき言ったようにさ小5の時旅行でディブ二―ランド行って、そこでお母さんたちと離れてちょっと探検してたらいつの間にか外に出ちゃっててさ……。それで迷いに迷った結果、いつの間にかここに辿りついてしまったの。泣きべそかく俺に手を差し伸べてくれたのが、たまたま運良くそこに居た君のお母さんだったって訳」
「基本的にお母様がここに来る時は僕と一緒なはずなのだが……」
「征十郎は今ピアノのコンクールに出掛けているの……とか言ってた気がする……」
「そうか……。僕が居ない時でもここに来る事はあったんだな……」
「でも寂しそうにしてたよ。本当はコンクール見に行きたかったんだけれど……って」
「……うん」

 あの頃、お母様は庭園と屋敷内以外を勝手に出歩くことを禁止されていた。今思えば納得なのだけれど、僕はそれがお父様による束縛行為だと思っていたから……、僕がお父様に不信感を抱くようになったのはその頃かもしれない。

「あの人に会って、というより人間に会えて、とりあえず俺はホッとしたんだ。俺は泣きじゃくりながらどうしてここに来てしまったかって事を拙い言葉で話したよ。でも、君のお母さんったら聞き終わるなり、『分かった、もう大丈夫、だから私とお話ししましょう?』なんて言うの。何が大丈夫なんだって感じだったんだけれどね……はは」
 
 でも、その後何故か大きな黒い車が来て、宿泊先のホテルに連れていかれ両親に再会出来た、と彼は語った。お母様は少なからず赤司家の人間だ。考えなしに見えて、しれっと手配をしていたのだろう。その迅速さに幼い彼は気付けなかったというだけの話だ。

「彼女の口から聞ける話は君の話ばかりだったよ。いや、むしろ君の話しかしていなかったかも。君がどんなに可愛くて、どんなにガンバリ屋さんで、どんなに寂しがり屋で、どんなに強い子かって……。

 それで君との賭けの事も聞いたんだ。そして彼女は言った

『私はもうすぐこの勝負を続けられなくなる。長くてあと1年かな……。だけど、あの子は自分にも他人にも優しくて、厳しい子だから、続行不可能が負けだって事認めないかもしれない。
 だから、私が勝負を続けられなくなった時は貴方が代わりにあの子と勝負をしてあげて。それでもし貴方勝った時はあの子に言ってあげて、゛どんな場所で芽を出してもそこで花を咲かせる強さを持って、これからもそうやって生きてほしい″って……、私の願いはそれだけよ』

って……」

 それは、冬に咲くヒマワリのように、終わりが来るまでここで強く生きたお母様らしい願いだった。

「お母様との別れから、勝負の終わりから、逃げていた僕はまだお母様の願いを叶えられていない。これじゃお母様にも笑われてしまうな」
「そうだね、、きっと何処かで笑っていると思うよ。でもね赤司君、負けをしった人は強くなれるよ。だから、君はあの人の願いを、もう叶え始めていると思う。それで、君のお母様は嬉しいって笑ってくれているんだ」
「そうだと、いいな……」

 12月最後の冷たい風が僕の肌を掠める。寒さと寂しさは似ているとずっと思っていたけれど、今の僕は何処か清々しさを感じていた。まるで、スノードロップに色を与えられた冷たい雪のように。

「降旗」
「ん?」
「僕はまだお前の願いを聞いていない」
「俺はあくまでもあの人の代理だよ? 俺は誠凛高校一年の降旗光樹。誠凛バスケットボールチームの一員として、君達を倒せた、それだけでお腹いっぱいなんだ」
「でも、僕は君から、色々と貰ってしまったから、何か返せる物があったら返したいんだ」

 お前から貰ったヒマワリはいつも僕に元気をくれる。
 一番居てほしい時に側に居てくれたお前の存在がどれだけ大きかったのか、その大きさを計る物差しは僕しか持っていないのだから、お前には分からないのだろう。

 僕の目は彼の目を射とめて離さない。
 気押された彼は頬をポリポリと掻いて、少し恥ずかしそうにはにかみながら言った。

「……、じゃあ、俺の友達になって欲しいな」

 平凡な彼らしい安上がりな願いに、僕は笑顔で答えた。

「……――」
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