合宿が始まって4日目の夜中。俺はふと目を覚ましてしまった。
 
 誠凛は大部屋に部員全員で寝ている。俺が目が覚めた時、周りを見渡したけど誰一人として爆睡してない奴は居なかった。みんな幸せそうに……というより、練習がハード過ぎて、まるで気絶しているかのように寝ている。いずれも、俺みたいに目が覚めるような奴は居ないみたいだ。普通、あんなに運動したら目が覚める事なんてないと思うけど……。
 ひっそり起き上がって窓の外を見下ろしてみたけど、暗くてほとんど何も見えなかった。見えるのは月明かりしかないのだから当然だ。

 赤司達が合宿に参加し始めて、3日も経った。だけど、俺と赤司が長く話したのはあの1日だけで、あとはほとんど話せていない。話しても「おはよう」とか、その程度だ。あの10分間が奇跡のようなモノだったんだなぁと今頃になって気付いた。やっぱりあの時に、また話したいって駄目元でも言ってみるべきだったのかな……。でも、赤司はどう見ても黒子の事が好きみたいだし。俺と話したいって言ってくれたのだって、きっと黒子の近状でも知りたかったんだろう。

 そんな事を考え出したら、余計、眠りにつけそうになくなった。
 みんなを起こさないように、部屋のドアを静かに開けて廊下に出た。
 空気が澄んでるから、ここは星が良く見えるのだと、去年の合宿の時監督が言ってたっけな。最終日みんなで見に行こうと計画してたけど、結局練習疲れでそれは叶わなかった。
 どうせ今年もそうなるだろうし、一人で波の音を聞きながら星を見るのも悪くない。
 ただの気紛れで俺は階段を下り、真っ暗なフロントを通って外に出た。

「……風冷たい」

夏だとは言え、今は夜中でそして何も無い海辺なのだ。半袖で来たのが間違いだったのか、ここは凄く肌寒く感じた。
空を仰げば満天の星空……、ではあるけど少し物足りなさも感じた。どんなに綺麗な星空でも、一人で見るというのは、それだけで空虚な気分にさせた。当然、一人で星を見に行ったことも、大勢で見に行った事も無かった為、こんな気持ちになるとは予測していなかったんだけど。

浜辺の砂を蹴るようにして歩いた。ここを俺達昼間は走ってるんだなぁ……なんて考えながら。
ふいに空から正面に視線を戻し、海を眺める。夜の海というのは、太陽が無い為暗く濁って見えるから、正直言って溝や沼とも変わりが無い。でも、月明りが綺麗だと、暗い海に光が反射して少し透き通って見えるのは綺麗なのかもしれない。
波が静かに音を立てながらこっちまで来て、それと伴って光の反射が微かに向きを変えた。

「え……?」

――そしてその時見えてしまったモノに、俺は思わず目を疑った。

「ひ、人……?!」

 俺の目には、臍の上まで海の中につかり、段々深い所まで足を進めている人の姿が映った。目を凝らして見るけど、やっぱりそこには確かに人が居る。
 良く見えないけど、小さな子供ではない。多分背丈は俺と同じくらいだ。

「って……か、何してんの……?!」

 思い起こせば、この時が俺の人生で一番焦っていた瞬間なのかもしれない。
 ドラマや映画でもこんば場面があった。後先考えずに海の中に助けに行くヒーローの姿が頭によぎる。あれを見て俺は、「そんなに必至になるか普通? 海の中に自分から入っていくような奴に……」なんて冷めた感想を抱いていたけど、実際に同じ状況に立たされたら、そんな風には到底思えない。だって、目の前で人が自殺行為をしてるんだ。止められなかったら、知人だろうが、他人だろうが一生のトラウマになるに決まってる。

 今が夏で良かったと本気で思う。
 少し冷たい程度で凍え死ぬようなモノでは無いから。俺はザブザブとその人に向かって歩いて行く。まるで波が俺の歩みを拒むかのように打ちつけてくるけど、そんな事はどうでもよかった。ただ必死で、目的まで歩く。

「おい、お前っ……!」

ようやくその人に辿りつき、俺は呼吸をする間もなくその人の腕を握ってこっちを振り向かせた。名前も分からないその人に向かって叫びながら。

「何してんだっ……よ――」

――心の中で何かドロドロとした熱いものが溶け出してきた。

俺は振り向いた顔を知っていた。
俺は赤色い瞳と金色の瞳、ちぐはぐな二つの瞳を見て、思わず心臓が止まったかのように目を見開いた。この時、俺はとても情けない顔をしていたかもしれない。気付けば口をポカーンと開けて、「は……え……なっ……」と、訳の分からないうわごとを漏らしていた。彼は俺の方を向いているが、決して俺を見ている訳じゃない。無気力という文字が透けて見えてしまいそうな瞳は、今何を映しているのだろうか。

 どんなに見つめても、体温を確かめても、彼の心の声はやっぱり聞こえてこない。
 普段、言葉を交わさなくたって分かってしまう相手の気持ち。でも、今はそれが出来ない。この特別な能力が俺は嫌いで仕方が無かったけど、使えなかったら使えなかったで不便なものだ。

 彼はふいに俺の方を見て、……そして、まるで海に浮かぶ一輪の花のように脆く、そして無邪気な笑顔を俺に向けた。

「征と一緒に遊ぶの?」

 練習中にも聞いた赤司の声。その時と比べたら明るい声色で、本物なのかと本気で疑ってしまいそうになるけど、それでもこれは赤司だ。なのに……、この人と会った記憶が俺には紛い物のように思えてきた。

「赤司……君……、こんな所で何してるの? 帰ろう?」

 俺の口から出てきたのは、自分でも心が凍る程の冷めた声だった。
 赤司は俺の事をきょとんとした目で見つめ続ける。

「征、海で遊びたい。お兄さん一緒に遊ぼうよ?」

 まるで俺の話を聞いて無かったかのように、赤司は俺の腕を引っ張って、もっと深い所に入ろうとする。
 この人は……、赤司じゃない。少なくとも俺が知ってる赤司じゃない。

「征ね、一人で遊ぶのも好きだよ。でも、誰かと遊ぶのも好きなんだー。だから、お兄さん来てくれてちょっと嬉しいなって……」

 純粋な二つの瞳が俺に笑いかける。彼が笑う度に、俺はどうしてか胸が痛くなる。

「赤司君……、でも今は夜だし、こんな所で遊んでたら危ないでしょ? それくらい分かるよね」
「えー、でもね、征、幼稚園生の時、お母様とお父様と一緒に海に行ったんだよ―? そこには3人しか居なかったけど、征が海で遊んでるとお母様もお父様も笑顔になるんだー。だから、ここは危なくないよ?」
「その時はお母さんとお父さんがいたから……、でもここで泳ぐのは駄目なの。誰かに見られたら、赤司君怒られるよ?」
「えー……、でも、お兄さんも入ってるじゃん」
「それは……。まぁいいや、とりあえずあがろうよ」
「うー、うん」

 赤司君の腕をひいて、俺はやっと海からあがる事が出来た。
 こんな夜中には、温泉にも入れないし……。シャワーも多分使えない。服どうしよう……。10日分丁度しか持ってきてないから、これは予想外だ……。洗面所で洗濯するしかないなぁ。

 いつから海に入ってたんだか、赤司の手は海水でふやけていた。

                              ☆

ある程度の水分は外で絞ったけど、この状態で再び布団で寝る訳にもいかない。俺は赤司に、「ここで待っててよ?」と言って、自分のタオルを2枚部屋から持って戻ってきた。
1枚を赤司に渡して、もう一枚で自分の身体を拭く。

「あと数時間で起床時刻だけど、気温も低くは無いし、それまでには服も乾くでしょ……多分。海臭さは多少残るかもしれないから、それは我慢ね」
「何か肝試ししてるみたいだね! 暗―い。征はやった事ないけど」
「どうしたらこの状況ではしゃげるんだか……。ちょっと暗いし、ソファ―しかないけど、今日はここで寝るよ? 濡れたまま部屋に入る訳にもいかないし」
「お兄さんは部屋、みんなと一緒なの?」
「うん、みんな一緒だよ。赤司君は?」
「征は一人部屋だよー! だから、お兄さんも来ていいよー?」
「え……」

 いや……、これは……、確かにあれから赤司と話せてないなぁ、ってさっきまで嘆いていたけどさ。今の赤司は何かちょっと違うし……、あの美人な赤司と比べたら……、何か子供っていうか、幼いと言うか……。幼い口調でもあんまり違和感の無いのがちょっと怖い。童顔って恐ろしい……。

 結局俺は、赤司に言われるがまま彼の部屋に一晩泊る事にした。

「誠凛は大部屋だというのに、洛山は個人部屋……。これが格の違いって奴か」
「? でも、征以外のみんなは一つの部屋だったよー? 一人部屋なのは征だけ」
「え」
「何かね、気付いたら征は一人部屋だったんだよー。征ね、本当はみんなで一緒にお泊りしたかったんだけどなぁ……」
「一人で居るのは、寂しいの?」
「えー……、お兄さん、一人で寂しくない人って居るの? 征は普通に寂しいよ」

 孤高という言葉が似会う彼の口から出た、「寂しい」という言葉。これは、赤司の本心なのかな。本当は寂しいって……、ずっと思ってるの?

「征はね、誰かと一緒にお泊りしたことも、寝た事も無いんだよ―。だから、お兄さんが征と一緒に居てくれて今、征は凄くワクワクしてるんだ」
「……そっか」
「うん!」

 思わず無邪気な彼の頭を優しく撫でた。あの赤司に何してるんだか……なんて罪悪感はこの時には既に無くなってた。目を細める彼はとても気持ち良さそうで、自然と俺まで笑顔が零れた。さっきからこの人に振りまわされてばかりだというのに、この笑顔を見てると、どうしてか許してしまう。

「お兄さん、着替えよう? 征、このまま寝たくなーい」
「あ、俺はいいよ。乾くまでこのままで」
「えー、駄目だよー。風邪ひくよー?」

 元々海に入らせたのは君なんだけどね……? 風邪ひいたら80%くらいは赤司の所為だから。

「特別に征の服貸してあげるよー」
「えっ……、ああ、いいよ。気を使わないで」
「駄目! 征と一緒に寝るんだから、濡れたままじゃ嫌なの!」
「いや、俺はそこら辺に放置してくれたらいいし……」
「やだ! 征と一緒にベットで寝るの……お兄さん征と一緒に寝てくれないの?」

 やめろ……、赤司の顔でそれは辞めろ……。何で涙目なの……! 可愛いからやめてください……、俺の理性が飛んで行きそう……。

「わ、分かったから。着替えるから……」
「やったぁ。別に征じゃない征も気にしてないから大丈夫だよ。あの人も別に怖い人じゃないから」
「……」

 彼は多分、俺がこの間話していた方の「赤司」の話をしているんだと思う。この子は……、ちゃんと赤司の記憶も持っているのかな……? そしたら、この赤司にとっても俺は初対面じゃないんじゃ……。

「征はね、あっちの征の記憶はほとんど持ってないの。征が征じゃない時があるのは分かってる。でも、征はあっちの征の記憶を欲しいと思わないんだ」

 現実離れした彼の話を俺はただ黙って聞いていた。

「だって、あっちの征の記憶を知ってしまったら、征はここに居られなくなるから。征の存在も、記憶も、元々無かった事になってしまうから……」

 寂しそうに呟く彼の横顔を眺める事しか、今の俺には出来なかった。
 多分、俺はこの子の言ってる事をほとんど理解していないんだと思う。茫然としている俺を見て、赤司は申し訳なさそうに微笑んだ。

「ごめんね、変な話して。お兄さん、名前は何て言うの?」
「降旗光樹……って言います」
「じゃあ、光君って呼んでいい?」
「あ、うん、いいよ」
「光君、光君」
「ん?」
「呼んでみただけー。あのね、光君も征の事、征って呼んでいいんだよ? 征は苗字で呼ばれるのあまり好きじゃないんだー」
「ああ……、じゃあ征君」
「うんっ」
 
 『守りたいこの笑顔』ってこういうのを言うんだろうなぁ……。
 苗字で呼ばれるのが嫌いっていうのは、征君だけの話? それとも赤司も同じように思ってんのかな? どっちにしろあの赤司に『征君』なんて声かけた時には、凄い目で見られそうだけど……。彼にも、周りにも。

「光君、それじゃ寝よっかー。征も流石に眠いよ……」
「そうだね、俺も……」
 
 正直言って色々ありすぎて眠気が飛んでしまったけど、この調子だと明日の練習で俺は倒れる。ちゃんと睡眠はとっておかないとな……。今、深夜2時……。あと4時間くらいで起きなきゃいけないけど。

「光君早く来てよー」

 一足早くベットに寝転がった赤司が俺を手招きした。……この場面だけを切り取れば、まるで初夜でも迎えるかのような映像になって居うると思う。

「や、やっぱり俺、床で寝る。夏だから寒くないし」
「何言ってるのー。征、光君と寝たいってさっきから言ってるじゃん。征の言う事聞けないの?」

 征君よ……、君は間違えいなく赤司君です。根がやっぱり同じなんだね……。
 ていうか、赤司に服借りたから、俺も自分の部屋で寝て大丈夫なんだけど。それに、同じベットで寝てて、起きた時、征君じゃない方の赤司君が戻ってきてたらどうするの……。俺、土下座しても許されないような気がするよ? 

「光君……早く来て……っ……」
「わわっ、ちょ……泣かないでよ、分かったよ……もう。一緒に寝るから」
「わーいっ!」

 嘘泣きかよっ……、無駄に上手い演技しやがって……。
 男子高校生二人で寝るのには少し狭いシングルベットに、俺は諦めの色を浮かべて入った。

「光君、暖かいね……」

 征君に背中を向けるような形で寝ていると、彼はぴとっと俺の背中にくっついてきた。理性が飛んでいく前に離れてください。お願いですから。

「征はね、いつも一人だったの」

 征君は突然俺の背中に向かって話し始めた。まるで、静かに想い出話を語るかのように。

「でも、征にもね、一人だけ友達が居たの」
「? 緑間とか実渕さんとか……いっぱい居るんじゃないの?」
「……征じゃない征にはお友達が沢山居るんだね? 征はその人達知らないから分かんないや」
「ご……、ごめん」
「何で謝るの? 光君が謝る必要なんて無いよ。だっておかしいのは征だもん」

 この子は……俺に似てるのかもしれない。心が読めるという異常をおかしいと認識して否定し続ける自分と、自分の意識が二つ存在する事を他とは違うと知っていてそれを認める赤司。
 でも、俺はこの数日で彼とは離れて行ったのかもしれない。
 俺はこの異常を少し羨ましく思うようになった。最初は、心が読めない事を理由に、彼にひかれていったというのに、俺はいつの間にか変わってしまったようだ。簡単には理解できない傷を持った赤司を癒す方法なんて、異常ではない、ただの凡人である俺には分からない。異常である俺なら、もう少し彼の力になれたかもしれないなんて考えてしまう。彼の前でも異常で居られたら、彼の心を探って、傷の部分に絆創膏を貼る事くらいなら出来たかもしれないのに。

「征君はおかしくなんかないよ」

 子供をあやすような落ちついた声で呟き、背中に話しかけている彼の方に身体を返した。

「……やっとこっち向いてくれた」
「征君、俺ね、征君の前だと普通の人なんだ」
「征の前以外なら普通じゃないの?」
「うん」
「征と同じなんだね」
「……うん。でも、征君の前だと俺は何処にでも居る男子高生だから……。だけど……、普通の男子高生の俺にでも出来る事があるなら、俺、征君の力になりたいな」
「……本当に、征を助けてくれるの?」
「出来る事なら何でもする」
「ありがとう、光君……」

 今度は正面から、征君は俺に抱きついてきた。うん、どうしようこの状況。

「さっき、征には友達が一人だけ居たって……」
「うん。ちゃんと聞いてたよ」
「征ね……、その子に会いたいんだ。征、本当はここに居たらいけないの。征じゃない征はね、自分を完璧な人にしたいから、自分に必要無い、『自分』はどんどん切り捨てていってるの」
「そ……そっか……」
「だけど、征じゃない征は、何故か征がこうやって表に出てくる事を許してくれる。だから……、多分あっちの征は、征がその友達を探す事を望んでくれているんだ」
「征君は自分の意思で、ここに居るの?」
「うん、でもあっちの征に迷惑は掛けないよ。だから、昼間は表に出ない」
「……そっか。じゃあ、夜の内に探さないといけないんだね?」
「うん。どうやって探すのかも分かんないけど……、それでも征はその子に会いたいの。会わないといけないの」
「……ん、分かった。協力する。今日はもうこんな時間になってしまったし、明日から探そう」
「うん……。光君、本当に……ありがとう、……」

 征君はそのまま俺の腕の中で眠ってしまった。
 あと6日で俺は征君に……、赤司に何が出来るんだろう。ただそれだけを考えて、静かに寝息を立てる彼の隣で目を閉じた。

→③
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

COMMENT FORM

以下のフォームからコメントを投稿してください