今日の練習は、合宿が始まって丁度折り返し日だった事もあり、洛山との練習試合が行われた。
洛山は意外にも練習試合に赤司を含むレギュラーで挑んできた。『勝利』が絶対である赤司率いる洛山が、そのメンバーで挑んできたのは、きっと去年誠凛に負けてしまった事からだと思う。その心意が伝わってきたからか、練習試合ではレギュラーじゃない俺達1年生を出来る限り出してくれていた監督も、今回ばかりは勝ちを取るメンバーで挑むみたいだ。だから今回のスターティングメンバーは、火神、黒子、日向先輩、伊月先輩、水戸部先輩だ。
木吉先輩は足への負担の少ない練習メニューには参加するけど、ドクターストップによって試合には出れなくなった。先輩は人一倍バスケに対する気持ちが強い。だからこそ、試合を見る度に、心の中で何度も何度も、自分の足を恨み、「試合をしたい」という本当の気持ちを握りつぶしている。今だって、先輩は笑顔でチームの応援に努めてるけど、好敵手である洛山との試合を見てるだけしか出来ない事を悔んでいる。いつも何か先輩に声をかけなくてはと思っているのに、その結果に脅える心が邪魔して、未だ一度も声をかけた事が無い。
今回の試合、当然のことながら俺の出番は無い。赤司は数日前に、俺と試合するのが楽しみだと漏らしていたから、今の状況を少しだけ残念な気もした。でも、誠凛、洛山の試合を見ている内に、あんな所に俺が出たら場違い極まりないよな……、出れなくて良かったかもしれない、なんて密かに安堵している自分が居た。周りは洛山に恐怖を覚えながらも、試合してみたいという好奇心を持っている奴らばかりなのに、自分の情けなさに涙が出てくる。
コートに立つ赤司は、やっぱりWCと変わらない威圧感を放っていた。紫原や青峰も人並み外れた威圧感を持っていたけど、赤司はそれとは違う、特異な威圧感を放っているように見える。きっとそれは、青峰や紫原のように風貌による威圧感がないからだと思う。普段は童顔で儚い印象のある赤司だけど、バスケをしている時の彼は相変わらず無敵で、かっこいい半面、少し怖い。
気付けば、コートを駆ける赤司を無意識に目で追っている。出来る事ならずっとこの姿を目に焼き付けていたいな……、なんて思っていたその時、突然体育館に何かが床に打ちつけられるような音が響いた。 その音に、中の人、俺と同じベンチの人達、その場に居た全員が動揺して、あたりを見回しだしたが、くだらない事を考えていて試合観戦に集中していなかった俺は、そんな周りに取り残されていた。
「黒子っ!」
いつになく焦っている火神の声が聞こえ、さっきまで全力で試合してたはずのメンバーが一点に集まっていった。
影の薄い黒子を視界に捕らえてなかった俺は、何が起きたのか分からず、周りに流されるようにメンバーの集まっている所に行っていた。
☆
目を開けると、そこには見なれない白い天井が広がっていた。
「あ、目覚めた?」
視線を横に移すと、チームメイトである降旗君が、僕を心配そうな顔で見つめていた。
どうやらここは、どこかのベットらしい。学校の保健室を連想させるような空間だけど、今は夏休みなのでそれは違うだろう。今日は合宿の為、去年も来た合宿所に泊って……。きっとここは合宿所内の保健室のような所だという事は分かったけど、何故自分がここに居るのかが分からない。洛山と練習試合をしてた所までは覚えてるんだけど……。
後頭部がガンガンと悲鳴を上げている。ボールでもぶつけてしまったのだろうか……。
「ここは合宿所の救護室だよ。頭、まだ痛む?」
「いえ……、少しだけ」
チームメイトである彼に心配させてはいけないと思い、囁かだけど嘘をついてしまった。きっと僕が倒れてしまったから、試合を見れずにずっと付き添ってくれてるのに、これ以上迷惑をかけてしまったら、彼に申し訳が無い。
「そっか、なら良かった」
「心配かけてしまってすいません」
「いいよ。チームメイトっていうのは心配して、心配されるもんだろ?」
「確かにそうですね……。心配してくださってありがとうございます。僕はもう大丈夫なので、試合に戻りたいのですが……」
「いや、無理すんなって。まだ少し痛むんだろ? 監督も休ませとけって言ってたから、今日は休んどけって」
「そ、うですか……。洛山との試合、楽しみにしていたのに残念です。でも、今日はお言葉に甘えて休む事にしておきます」
「おう」
東京と京都の距離だ。WCとインターハイ以外で洛山と試合が出来るのは極めて貴重な事であって、次は無いかもしれない。ああ、勿体ない事をしてしまった……。そういえば、何で僕は倒れたんだろう。
「そういえば、俺、黒子が倒れた時、見て無かったんだけど、根武谷さんの腕が当たって倒れたんだって? 先輩達が言ってた」
あ……。言われてみればそうだった気がする。何故根武谷さんの腕に当たったのかは分からない。試合中にマークしてて当たったか、それとも根武谷さんが僕の存在に気付かずにぶつけてしまったか……。いずれにしても、僕の不注意以外の何でもない。どうしてそんなくだらない事で、倒れてしまったんだろう。……なんて、本当は分かってるのに。
「すいません、僕の不注意で試合に穴を空けてしまって」
「何で謝るんだよ? 誰にでもうっかりする事くらいあるよ。俺なんてしょっちゅうだし」
「でも、あれが公式戦だったら……」
「まぁ、もしもの事は考えなくていいんじゃない? 次から気を付ければ、監督だって怒んないよ」
「はい……、でも、チームメイトの皆さんには後で謝っときます」
「おう、黒子がそうしたいならそうしたらいいよ」
「降旗君は、もう帰ってくださっても構いません。僕の為に試合抜けてまで付き添ってくださって……申し訳ないので」
「いや、俺はベンチだし、好きでここに居るだけだからさ」
降旗君はチーム内でも、人情が深く、少し怖がりすぎる部分もあるけど、そんな所も彼の強みにしてプレイ出来る、良い選手だ。もちろん、友人でもある。当たり前のように僕に優しくしてくれる。僕が気を使わなくていいように、小さな嘘まで吐いて。
「別に責めてる訳じゃないけど、何で……あんなボーッとしてたの? 何か試合中にまで影響するような悩みがあるなら、聞くけど」
「いえ……、悩みはありませんけど、無意識に考え事をしていたみたいです」
「そっか……。何考えてたの?って俺が聞いていい事かな?」
「何と言うか……、凄くくだらない事なので、教えられません」
くだらない事を考えていて試合中に馬鹿なミスをするなんて、選手としての自覚が足りないと思われてもおかしくない。でも、僕の考えていた事は、周りにとってはくだらない事でも、自分の中では大きいものだったのだ。
――その僕が考えてた事に、自分が出てきていただなんて、目の前に居る彼は知らないんでしょうね。
誰よりも人情が深く、心配りの出来る降旗君。
そんな典型的な『優しい人』である彼だからこそ、僕は気になっている事がある。
それはこの間、彼が赤司君にテーピングを施し終えた後、何やら楽しそうに話してた事だ。
こんな事を僕が気にするのが、普通ではない事くらいちゃんと分かってる。でも、何やら楽しそうに話している二人の背中を見て思ってしまったのだ。優しさを知らない赤司君にとって、降旗君のような存在こそが彼を温かく迎えるのに相応しい、と。僕みたいに、くだらない事で嫉妬するような奴に比べたら、降旗君は非の打ちどころがない良い人だ。
「別に言えない事なら無理に聞きだしたりしないけどさ。何か悩み事あるんだったら、俺じゃなくても火神とかに相談しろよ」
「はい、そうします」
「うん。そういえばさ、全然関係無い話になってしまうけどさ」
「はい」
「黒子って赤司の事どう思ってんの?」
「え」
このタイミングで問われた突然の質問に、僕は平然を装う事が出来なかった。つい動揺を顔に出してしまったけど、僕は自身の気持ちを彼に悟られてしまう訳にはいかない。どういう意図でその質問を投げかけてきたのかは分からないけど、平然と答えなければ……、いくらチームメイトでも、僕の歪んだ思いには気づかれたくない。
「あ、別に変な意味で聞いてるわけじゃなくてさ」
「好きですよ」
「え」
「お痛が過ぎる事もありますが、基本的にはいい人ですし、3年間一緒に過ごしたチームメイトです。今の誠凛のチームメイトの事ももちろん好きですが、昔の仲間の事も大切に思ってますよ」
「そっ……かぁ……」
「はい。何故、突然そんな事を?」
「特に意味なんてないけどさ、この間、赤司と話してたら、赤司は黒子に嫌われてるって思ってるみたいだったから……」
「そんな事ないです!……何であの人はそういう勘違いをしてしまうのでしょうか……」
いつだってそうだ。僕が近づけば近づく程離れて、好きになればなる程遠ざかっていく。こんな気持ちの悪い恋情を持っている僕の事を知った上で、距離を持たれてると思っていたのに、僕が赤司君の事嫌い? 何でそういう風に考えてしまったのか、僕には全く理解出来なかった。
「俺は赤司とほとんど話した事ないから、あいつの事良く分からないけど……、赤司ってさ、黒子が思っているより、周りの事見えてないんだと思うよ」
「どういう事ですか?」
「えーっと……、何かさ、赤司って自分の事も周りの事も何でも知ってるって感じがするじゃん? でも、話して見ると意外と分かってない事の方が多いんじゃないかなーって」
「確かにそれはそうかもしれません……。でも、僕が赤司君の事を嫌っていると思われていたのは、心外です。3年間も一緒に過ごした彼を嫌いになるなら、僕は青峰君や紫原君達の事も嫌ってる事になってしまうじゃないですか」
「うーん……。でも、黒子とは、退部時に何かあったんじゃないの?赤司は帝光の主将だったんだろ?」
「それは……」
確かに何も無かったとは言えない。
中3の夏、僕がバスケを嫌いになった。
コート駆け抜けるバッシュの音、強く打つドリブルの音、シュートが決まる時の音さえ、全てが僕を責めているようにしか聞こえなかった。
バスケなんてやめてやる……、そう思って出した退部届。
あの日の赤司君の顔を僕は忘れられない。僕がコートに立てるようになったのは、まぎれも無く赤司君のお陰だ。彼が僕の能力を見出してくれなかったら、僕は今バスケを続けていなかったかもしれない。そんな僕がバスケを辞めると言う事は、僕の能力を見つけた赤司君を否定する事と同等だ。
あれから、1年のWCまで、僕は彼と話す事は無かった。
「その時の事は、赤司君じゃなくて僕に非があります。逆に赤司君が僕を嫌うなら分かりますが……。実際に赤司君は僕の事を良く思っては無いでしょうし」
「それは無いよ。だって、嫌いだったら、あんな顔で黒子の事を聞いてきたりしない」
「赤司君はどんな風に僕の事を聞いてきたんですか?」
「んー……、説明が難しいけど、温かくて……でも寂しい感じ? どうしたらいいのか分からないって顔してた」
「そうですか……。やっぱり僕には彼の気持ちが理解できません」
「黒子と赤司はもっとお互いに意思疎通した方がいいと思うよ。普通、言葉にしないでも伝わる事より、
言葉にしなきゃ伝わらない事の方が多いだろ? お前らは頭いいからお互いに何でも通じてるって思っ
てるのかもしれないけど、一番大事な所伝わって無いじゃん」
「確かにそうですね……、分かりました。折角同じ合宿所なんですし、後で話してみます」
「おう。ちゃんと黒子の気持ち伝わるといいな」
「はい」
彼は、僕が友人として赤司君を好きという事を、ちゃんと赤司君に伝われば良いと思っているんだ。
別に、他意は無いはず。でも、たまに、降旗君は全て察してるんじゃないかと思ってしまう事がある。
そんなハズある訳がないのに。
「どうせ安静しとかなきゃいけないんだし、寝ててもいいよ。昼飯の時間になったら起こすから」
「え、でも……」
「気にすんなって。ずっと気を張ってばっかじゃ疲れるだろ? 今日くらい甘えときな」
「……ありがとうございます」
「んじゃ、俺、飲み物取ってくるから」
「いってらっしゃい」
純粋な優しさ。
僕には無い物を彼は持っている。でも、純粋さは時に人の汚い部分を突いてくる。
赤司君が僕の話をする時にしてた表情……。温かくて、でも寂しい顔。赤司君の名前を出す度に、言っている自分がしてただなんて、降旗君はきっと気づいてないんだろうなぁ……。
☆
救護室のドアを閉め、俺は足取りを止めた。
「何してるの?」
「赤司君」
廊下の壁にもたれかかっている彼は、こっちをチラッと見た後、ばつの悪い顔をしてまた正面に向き直った。こんな所に居るとは思わなかったから、心の中では結構驚いてたんだけど、不思議と平然と話せるもんだ。
「僕の事は赤司と呼べと、今朝言ったはずなんだが……。君は数時間で物事を忘れてしまうほど、記憶に疎いのかい?」
「……ごめん、忘れてた」
「別に。そんな風に謝らなくてもいいよ。怒ってるわけじゃないから」
赤司はきっと、『怒ってるのは君の方だ』と言いたいんだと思う。
俺は、二人のどうしようもない両片思いを本質的に理解してしまった。
それによって、少し前に生まれてしまった自分の気持ちを、何処にやればいいのか分からなくなった事で、僕は赤司に冷めた声で話しかけてしまっていたみたいだ。こういうのを八つ当たりと言うんだろうなぁ……。
純粋な優しさを持つ人。黒子が俺の事をそう言う風に評していたけれど、そんなもん端から持っていなかった。いつだって自分を慰める為の最善の道を通って行く、その過程で行った事がただ優しさに繋がっただけ。利己主義な考えの結果だ。
「試合は終わったの?」
「終わってなかったらこんな所で時間をつぶしたりしてないよ。30分程前に終わった」
「そっか、そうだよね。ちなみにどちらが勝ったの?」
「? 質問の意味が分からない、僕の居るチーム以外に何処が勝つと言うんだ」
「……そうですか」
去年のWC、うちに負けた癖に……、何処からその自信は湧いてくるんだろう……。喪失した自身はまた作ればいい。でも、赤司みたいに元々自身が備わっていた奴は、どうやって自身を取り戻すのだろう。もしかしたら、自信が無いまま対戦して、今日勝った事によってそれが付いたのかもしれないけど。
「ところで、こんな所で何やってんの……、って聞くのは野暮だよね。黒子、中に居るから入ったら?」
赤司は不思議そうな顔でこちらを見ている。きっと僕は平常じゃない顔でこんな事を聞いているんだろう。
「別にあいつに会う為にここに来た訳じゃない」
「試合終わったのが30分前って事は30分前からここに居るんじゃないの?」
「お前は何故僕をそんな物好きに仕立て上げたがる?」
「……汗、首伝ってるよ」
赤司は少しビクッとして、Tシャツで汗を拭いた。
試合が終わって、タオルを出す暇もなくここに来たんだなんて、本気で思ってたわけじゃない。だって、運動後で、今は夏なんだ。汗をかいてたくらいでそんな事を断定するなんて馬鹿らしい。ただ、言ってみた反応で赤司の気持ちを探りたかっただけ。
冷静沈着な赤司がこんなのに引っかかるなんて。
ねぇ、赤司の中で、黒子の存在ってそんなに大きいもんなの? ――なんて、聞ける訳がないけど。
「そんなに心配なら、普通に入ってくれば良かったのに」
「……それが出来たなら、僕はこんな所に居ない」
「赤司って、不器用だよね」
「器用だとは良く言われるが……。不器用だと言われたのは、これが2回目だ」
「初めて……ではないんだ」
「ああ。それこそテツヤに言われた」
「うん、何となく黒子に言われたんだろうなぁって思ってた」
さっき黒子におせっかいな事を言ってたけど、赤司の事なんて黒子だって分かってるんだ。近過ぎて見えない部分も少なくは無いけど、赤司の不器用さを一番理解してるのは間違えなく黒子であって、俺じゃない。
「あいつと二人だけで過ごす事は……、なるべく避けたいんだ」
「何で? 黒子は赤司が様子見に来てくれたら嬉しいと思うけど……」
お互い素直じゃないから、嬉しいなんて口に出す事はないだろうけど、想いを寄せてる人が自分を心配して見に来てくれたら、誰だって嬉しいはずだ。黒子だって例外じゃない。
「もし仮にテツヤが嬉しく感じたとしても……、僕はその事に対して喜べない」
「どういうこと? 俺……、赤司の言ってる事分からない」
「……だろうな」
「赤司はさ、本当は気付いてるんでしょ? 黒子の気持ち」
不器用と馬鹿なのは全然意味が違う。微々たる動きや精神の揺れも読みとってプレイする赤司は、人の気持ちに敏感だ。だから、黒子の気持ちに気付いてないなんてありえない。
『嫌われてると思っていた』
嘘。確かに赤司は黒子を傷つけた事があるかもしれない。でも、赤司と話してる黒子は、少し頬を染めて、表情だっていつもより1.5倍くらい動く。内面的な感情じゃなくて、外にまで出てるんだから、赤司が気づかないなんて方が無理なんだ。
自分だって黒子に好意を持っていて、黒子も自分に好意を持っている。それなのに、赤司は何が不満で何を欲しているんだろう?
「……つまり、なんと言いたいんだ?」
「黒子が赤司に好意を持っている事くらい、とっくの昔に気付いてるんだろ?って事」
赤司は表情を変えずに「ああ」と小さく呟いて、俺に背中を向けた。
「……だからこそ、僕はテツヤの側に居られないんだよ」
頼りない声で告げられたその言葉の意味が俺には理解出来ず、その場を去っていく赤司の背中を、ただ茫然と見る事しかできなかった。
凡人である僕は、彼の心を探る事すら出来ない。
何が彼を縛っているのかなんて、俺には分からないから、ただひたすら考えてた。
答えが出ても、解答が無いんだから意味無い事だという事くらいは分かってたけど、そうでもしていないと俺は心の整理が出来ない。
全く、不器用なのは、黒子でも赤司でも無く、俺の方……なのかもしれない。
→⑤
洛山は意外にも練習試合に赤司を含むレギュラーで挑んできた。『勝利』が絶対である赤司率いる洛山が、そのメンバーで挑んできたのは、きっと去年誠凛に負けてしまった事からだと思う。その心意が伝わってきたからか、練習試合ではレギュラーじゃない俺達1年生を出来る限り出してくれていた監督も、今回ばかりは勝ちを取るメンバーで挑むみたいだ。だから今回のスターティングメンバーは、火神、黒子、日向先輩、伊月先輩、水戸部先輩だ。
木吉先輩は足への負担の少ない練習メニューには参加するけど、ドクターストップによって試合には出れなくなった。先輩は人一倍バスケに対する気持ちが強い。だからこそ、試合を見る度に、心の中で何度も何度も、自分の足を恨み、「試合をしたい」という本当の気持ちを握りつぶしている。今だって、先輩は笑顔でチームの応援に努めてるけど、好敵手である洛山との試合を見てるだけしか出来ない事を悔んでいる。いつも何か先輩に声をかけなくてはと思っているのに、その結果に脅える心が邪魔して、未だ一度も声をかけた事が無い。
今回の試合、当然のことながら俺の出番は無い。赤司は数日前に、俺と試合するのが楽しみだと漏らしていたから、今の状況を少しだけ残念な気もした。でも、誠凛、洛山の試合を見ている内に、あんな所に俺が出たら場違い極まりないよな……、出れなくて良かったかもしれない、なんて密かに安堵している自分が居た。周りは洛山に恐怖を覚えながらも、試合してみたいという好奇心を持っている奴らばかりなのに、自分の情けなさに涙が出てくる。
コートに立つ赤司は、やっぱりWCと変わらない威圧感を放っていた。紫原や青峰も人並み外れた威圧感を持っていたけど、赤司はそれとは違う、特異な威圧感を放っているように見える。きっとそれは、青峰や紫原のように風貌による威圧感がないからだと思う。普段は童顔で儚い印象のある赤司だけど、バスケをしている時の彼は相変わらず無敵で、かっこいい半面、少し怖い。
気付けば、コートを駆ける赤司を無意識に目で追っている。出来る事ならずっとこの姿を目に焼き付けていたいな……、なんて思っていたその時、突然体育館に何かが床に打ちつけられるような音が響いた。 その音に、中の人、俺と同じベンチの人達、その場に居た全員が動揺して、あたりを見回しだしたが、くだらない事を考えていて試合観戦に集中していなかった俺は、そんな周りに取り残されていた。
「黒子っ!」
いつになく焦っている火神の声が聞こえ、さっきまで全力で試合してたはずのメンバーが一点に集まっていった。
影の薄い黒子を視界に捕らえてなかった俺は、何が起きたのか分からず、周りに流されるようにメンバーの集まっている所に行っていた。
☆
目を開けると、そこには見なれない白い天井が広がっていた。
「あ、目覚めた?」
視線を横に移すと、チームメイトである降旗君が、僕を心配そうな顔で見つめていた。
どうやらここは、どこかのベットらしい。学校の保健室を連想させるような空間だけど、今は夏休みなのでそれは違うだろう。今日は合宿の為、去年も来た合宿所に泊って……。きっとここは合宿所内の保健室のような所だという事は分かったけど、何故自分がここに居るのかが分からない。洛山と練習試合をしてた所までは覚えてるんだけど……。
後頭部がガンガンと悲鳴を上げている。ボールでもぶつけてしまったのだろうか……。
「ここは合宿所の救護室だよ。頭、まだ痛む?」
「いえ……、少しだけ」
チームメイトである彼に心配させてはいけないと思い、囁かだけど嘘をついてしまった。きっと僕が倒れてしまったから、試合を見れずにずっと付き添ってくれてるのに、これ以上迷惑をかけてしまったら、彼に申し訳が無い。
「そっか、なら良かった」
「心配かけてしまってすいません」
「いいよ。チームメイトっていうのは心配して、心配されるもんだろ?」
「確かにそうですね……。心配してくださってありがとうございます。僕はもう大丈夫なので、試合に戻りたいのですが……」
「いや、無理すんなって。まだ少し痛むんだろ? 監督も休ませとけって言ってたから、今日は休んどけって」
「そ、うですか……。洛山との試合、楽しみにしていたのに残念です。でも、今日はお言葉に甘えて休む事にしておきます」
「おう」
東京と京都の距離だ。WCとインターハイ以外で洛山と試合が出来るのは極めて貴重な事であって、次は無いかもしれない。ああ、勿体ない事をしてしまった……。そういえば、何で僕は倒れたんだろう。
「そういえば、俺、黒子が倒れた時、見て無かったんだけど、根武谷さんの腕が当たって倒れたんだって? 先輩達が言ってた」
あ……。言われてみればそうだった気がする。何故根武谷さんの腕に当たったのかは分からない。試合中にマークしてて当たったか、それとも根武谷さんが僕の存在に気付かずにぶつけてしまったか……。いずれにしても、僕の不注意以外の何でもない。どうしてそんなくだらない事で、倒れてしまったんだろう。……なんて、本当は分かってるのに。
「すいません、僕の不注意で試合に穴を空けてしまって」
「何で謝るんだよ? 誰にでもうっかりする事くらいあるよ。俺なんてしょっちゅうだし」
「でも、あれが公式戦だったら……」
「まぁ、もしもの事は考えなくていいんじゃない? 次から気を付ければ、監督だって怒んないよ」
「はい……、でも、チームメイトの皆さんには後で謝っときます」
「おう、黒子がそうしたいならそうしたらいいよ」
「降旗君は、もう帰ってくださっても構いません。僕の為に試合抜けてまで付き添ってくださって……申し訳ないので」
「いや、俺はベンチだし、好きでここに居るだけだからさ」
降旗君はチーム内でも、人情が深く、少し怖がりすぎる部分もあるけど、そんな所も彼の強みにしてプレイ出来る、良い選手だ。もちろん、友人でもある。当たり前のように僕に優しくしてくれる。僕が気を使わなくていいように、小さな嘘まで吐いて。
「別に責めてる訳じゃないけど、何で……あんなボーッとしてたの? 何か試合中にまで影響するような悩みがあるなら、聞くけど」
「いえ……、悩みはありませんけど、無意識に考え事をしていたみたいです」
「そっか……。何考えてたの?って俺が聞いていい事かな?」
「何と言うか……、凄くくだらない事なので、教えられません」
くだらない事を考えていて試合中に馬鹿なミスをするなんて、選手としての自覚が足りないと思われてもおかしくない。でも、僕の考えていた事は、周りにとってはくだらない事でも、自分の中では大きいものだったのだ。
――その僕が考えてた事に、自分が出てきていただなんて、目の前に居る彼は知らないんでしょうね。
誰よりも人情が深く、心配りの出来る降旗君。
そんな典型的な『優しい人』である彼だからこそ、僕は気になっている事がある。
それはこの間、彼が赤司君にテーピングを施し終えた後、何やら楽しそうに話してた事だ。
こんな事を僕が気にするのが、普通ではない事くらいちゃんと分かってる。でも、何やら楽しそうに話している二人の背中を見て思ってしまったのだ。優しさを知らない赤司君にとって、降旗君のような存在こそが彼を温かく迎えるのに相応しい、と。僕みたいに、くだらない事で嫉妬するような奴に比べたら、降旗君は非の打ちどころがない良い人だ。
「別に言えない事なら無理に聞きだしたりしないけどさ。何か悩み事あるんだったら、俺じゃなくても火神とかに相談しろよ」
「はい、そうします」
「うん。そういえばさ、全然関係無い話になってしまうけどさ」
「はい」
「黒子って赤司の事どう思ってんの?」
「え」
このタイミングで問われた突然の質問に、僕は平然を装う事が出来なかった。つい動揺を顔に出してしまったけど、僕は自身の気持ちを彼に悟られてしまう訳にはいかない。どういう意図でその質問を投げかけてきたのかは分からないけど、平然と答えなければ……、いくらチームメイトでも、僕の歪んだ思いには気づかれたくない。
「あ、別に変な意味で聞いてるわけじゃなくてさ」
「好きですよ」
「え」
「お痛が過ぎる事もありますが、基本的にはいい人ですし、3年間一緒に過ごしたチームメイトです。今の誠凛のチームメイトの事ももちろん好きですが、昔の仲間の事も大切に思ってますよ」
「そっ……かぁ……」
「はい。何故、突然そんな事を?」
「特に意味なんてないけどさ、この間、赤司と話してたら、赤司は黒子に嫌われてるって思ってるみたいだったから……」
「そんな事ないです!……何であの人はそういう勘違いをしてしまうのでしょうか……」
いつだってそうだ。僕が近づけば近づく程離れて、好きになればなる程遠ざかっていく。こんな気持ちの悪い恋情を持っている僕の事を知った上で、距離を持たれてると思っていたのに、僕が赤司君の事嫌い? 何でそういう風に考えてしまったのか、僕には全く理解出来なかった。
「俺は赤司とほとんど話した事ないから、あいつの事良く分からないけど……、赤司ってさ、黒子が思っているより、周りの事見えてないんだと思うよ」
「どういう事ですか?」
「えーっと……、何かさ、赤司って自分の事も周りの事も何でも知ってるって感じがするじゃん? でも、話して見ると意外と分かってない事の方が多いんじゃないかなーって」
「確かにそれはそうかもしれません……。でも、僕が赤司君の事を嫌っていると思われていたのは、心外です。3年間も一緒に過ごした彼を嫌いになるなら、僕は青峰君や紫原君達の事も嫌ってる事になってしまうじゃないですか」
「うーん……。でも、黒子とは、退部時に何かあったんじゃないの?赤司は帝光の主将だったんだろ?」
「それは……」
確かに何も無かったとは言えない。
中3の夏、僕がバスケを嫌いになった。
コート駆け抜けるバッシュの音、強く打つドリブルの音、シュートが決まる時の音さえ、全てが僕を責めているようにしか聞こえなかった。
バスケなんてやめてやる……、そう思って出した退部届。
あの日の赤司君の顔を僕は忘れられない。僕がコートに立てるようになったのは、まぎれも無く赤司君のお陰だ。彼が僕の能力を見出してくれなかったら、僕は今バスケを続けていなかったかもしれない。そんな僕がバスケを辞めると言う事は、僕の能力を見つけた赤司君を否定する事と同等だ。
あれから、1年のWCまで、僕は彼と話す事は無かった。
「その時の事は、赤司君じゃなくて僕に非があります。逆に赤司君が僕を嫌うなら分かりますが……。実際に赤司君は僕の事を良く思っては無いでしょうし」
「それは無いよ。だって、嫌いだったら、あんな顔で黒子の事を聞いてきたりしない」
「赤司君はどんな風に僕の事を聞いてきたんですか?」
「んー……、説明が難しいけど、温かくて……でも寂しい感じ? どうしたらいいのか分からないって顔してた」
「そうですか……。やっぱり僕には彼の気持ちが理解できません」
「黒子と赤司はもっとお互いに意思疎通した方がいいと思うよ。普通、言葉にしないでも伝わる事より、
言葉にしなきゃ伝わらない事の方が多いだろ? お前らは頭いいからお互いに何でも通じてるって思っ
てるのかもしれないけど、一番大事な所伝わって無いじゃん」
「確かにそうですね……、分かりました。折角同じ合宿所なんですし、後で話してみます」
「おう。ちゃんと黒子の気持ち伝わるといいな」
「はい」
彼は、僕が友人として赤司君を好きという事を、ちゃんと赤司君に伝われば良いと思っているんだ。
別に、他意は無いはず。でも、たまに、降旗君は全て察してるんじゃないかと思ってしまう事がある。
そんなハズある訳がないのに。
「どうせ安静しとかなきゃいけないんだし、寝ててもいいよ。昼飯の時間になったら起こすから」
「え、でも……」
「気にすんなって。ずっと気を張ってばっかじゃ疲れるだろ? 今日くらい甘えときな」
「……ありがとうございます」
「んじゃ、俺、飲み物取ってくるから」
「いってらっしゃい」
純粋な優しさ。
僕には無い物を彼は持っている。でも、純粋さは時に人の汚い部分を突いてくる。
赤司君が僕の話をする時にしてた表情……。温かくて、でも寂しい顔。赤司君の名前を出す度に、言っている自分がしてただなんて、降旗君はきっと気づいてないんだろうなぁ……。
☆
救護室のドアを閉め、俺は足取りを止めた。
「何してるの?」
「赤司君」
廊下の壁にもたれかかっている彼は、こっちをチラッと見た後、ばつの悪い顔をしてまた正面に向き直った。こんな所に居るとは思わなかったから、心の中では結構驚いてたんだけど、不思議と平然と話せるもんだ。
「僕の事は赤司と呼べと、今朝言ったはずなんだが……。君は数時間で物事を忘れてしまうほど、記憶に疎いのかい?」
「……ごめん、忘れてた」
「別に。そんな風に謝らなくてもいいよ。怒ってるわけじゃないから」
赤司はきっと、『怒ってるのは君の方だ』と言いたいんだと思う。
俺は、二人のどうしようもない両片思いを本質的に理解してしまった。
それによって、少し前に生まれてしまった自分の気持ちを、何処にやればいいのか分からなくなった事で、僕は赤司に冷めた声で話しかけてしまっていたみたいだ。こういうのを八つ当たりと言うんだろうなぁ……。
純粋な優しさを持つ人。黒子が俺の事をそう言う風に評していたけれど、そんなもん端から持っていなかった。いつだって自分を慰める為の最善の道を通って行く、その過程で行った事がただ優しさに繋がっただけ。利己主義な考えの結果だ。
「試合は終わったの?」
「終わってなかったらこんな所で時間をつぶしたりしてないよ。30分程前に終わった」
「そっか、そうだよね。ちなみにどちらが勝ったの?」
「? 質問の意味が分からない、僕の居るチーム以外に何処が勝つと言うんだ」
「……そうですか」
去年のWC、うちに負けた癖に……、何処からその自信は湧いてくるんだろう……。喪失した自身はまた作ればいい。でも、赤司みたいに元々自身が備わっていた奴は、どうやって自身を取り戻すのだろう。もしかしたら、自信が無いまま対戦して、今日勝った事によってそれが付いたのかもしれないけど。
「ところで、こんな所で何やってんの……、って聞くのは野暮だよね。黒子、中に居るから入ったら?」
赤司は不思議そうな顔でこちらを見ている。きっと僕は平常じゃない顔でこんな事を聞いているんだろう。
「別にあいつに会う為にここに来た訳じゃない」
「試合終わったのが30分前って事は30分前からここに居るんじゃないの?」
「お前は何故僕をそんな物好きに仕立て上げたがる?」
「……汗、首伝ってるよ」
赤司は少しビクッとして、Tシャツで汗を拭いた。
試合が終わって、タオルを出す暇もなくここに来たんだなんて、本気で思ってたわけじゃない。だって、運動後で、今は夏なんだ。汗をかいてたくらいでそんな事を断定するなんて馬鹿らしい。ただ、言ってみた反応で赤司の気持ちを探りたかっただけ。
冷静沈着な赤司がこんなのに引っかかるなんて。
ねぇ、赤司の中で、黒子の存在ってそんなに大きいもんなの? ――なんて、聞ける訳がないけど。
「そんなに心配なら、普通に入ってくれば良かったのに」
「……それが出来たなら、僕はこんな所に居ない」
「赤司って、不器用だよね」
「器用だとは良く言われるが……。不器用だと言われたのは、これが2回目だ」
「初めて……ではないんだ」
「ああ。それこそテツヤに言われた」
「うん、何となく黒子に言われたんだろうなぁって思ってた」
さっき黒子におせっかいな事を言ってたけど、赤司の事なんて黒子だって分かってるんだ。近過ぎて見えない部分も少なくは無いけど、赤司の不器用さを一番理解してるのは間違えなく黒子であって、俺じゃない。
「あいつと二人だけで過ごす事は……、なるべく避けたいんだ」
「何で? 黒子は赤司が様子見に来てくれたら嬉しいと思うけど……」
お互い素直じゃないから、嬉しいなんて口に出す事はないだろうけど、想いを寄せてる人が自分を心配して見に来てくれたら、誰だって嬉しいはずだ。黒子だって例外じゃない。
「もし仮にテツヤが嬉しく感じたとしても……、僕はその事に対して喜べない」
「どういうこと? 俺……、赤司の言ってる事分からない」
「……だろうな」
「赤司はさ、本当は気付いてるんでしょ? 黒子の気持ち」
不器用と馬鹿なのは全然意味が違う。微々たる動きや精神の揺れも読みとってプレイする赤司は、人の気持ちに敏感だ。だから、黒子の気持ちに気付いてないなんてありえない。
『嫌われてると思っていた』
嘘。確かに赤司は黒子を傷つけた事があるかもしれない。でも、赤司と話してる黒子は、少し頬を染めて、表情だっていつもより1.5倍くらい動く。内面的な感情じゃなくて、外にまで出てるんだから、赤司が気づかないなんて方が無理なんだ。
自分だって黒子に好意を持っていて、黒子も自分に好意を持っている。それなのに、赤司は何が不満で何を欲しているんだろう?
「……つまり、なんと言いたいんだ?」
「黒子が赤司に好意を持っている事くらい、とっくの昔に気付いてるんだろ?って事」
赤司は表情を変えずに「ああ」と小さく呟いて、俺に背中を向けた。
「……だからこそ、僕はテツヤの側に居られないんだよ」
頼りない声で告げられたその言葉の意味が俺には理解出来ず、その場を去っていく赤司の背中を、ただ茫然と見る事しかできなかった。
凡人である僕は、彼の心を探る事すら出来ない。
何が彼を縛っているのかなんて、俺には分からないから、ただひたすら考えてた。
答えが出ても、解答が無いんだから意味無い事だという事くらいは分かってたけど、そうでもしていないと俺は心の整理が出来ない。
全く、不器用なのは、黒子でも赤司でも無く、俺の方……なのかもしれない。
→⑤
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