「こ、ここがあいつの家……?」

小学2年生のとある夏の日の事。
降旗光樹は一人、オシャレだけど頑丈さも金添えてる黒い門の前に立っていた。

「でかい……、お城みたい……」

いわば、『豪邸』と呼ばれるであろうその建物をまじまじと見て、見たまんまの感想を零す。
ごく一般家庭で生まれ育った降旗にとって、この大きくて立派な建物はとても珍しいものだった。
その降旗には場違いな建物の前に佇んでいるのには訳がある。


                   ★

                        
30分程前、降旗は職員室に呼び出されていた。
小学校低学年の男児が職員室に呼び出される理由なんて、ほぼ一つに決まっている。
そう、説教だ。

昼休み、降旗はクラスメイトの男子達とサッカーをして遊んでいた。
学校の一番の楽しみである昼休みは、気分も高まっている為、周りの事が少し見えなくなっていたのだろう。
降旗がシュートを打つ為に蹴ったボールは、思っていた方向にはいかず、左に逸れた。
そして、6年生が丹精込めて育てていた花の鉢に、命中してしまったのだ。
まだ低学年だった降旗は、6年生はとても大きく見えていた。
やはい、見つかったら怒られる所じゃ済まないかも……! 
楽しんでいたサッカーも放棄し、降旗はその場を直ぐに離れた。しかし降旗が逃げるよりも、たまたま通りかかった担任の教師が、割れた鉢に気付く方が早かった。

その担任が降旗の変わりに謝ってくれた為、6年生から非難の目で見られる事は無かった。
でも、案の定放課後の呼び出しをくらい、こっ酷く説教をされた。

「まぁわざとやった訳じゃないから何とも言えないが、まず降旗君は逃げる前にする事があったはずだ。それが何だか分かるか?」
「ぐすっ……、ごめんなさいっ……」
「そうだ、謝る事だ。分かってるじゃないか。……全く、分かってるなら最初からそうすれば良かったんじゃないか……」

こんな感じで、他の先生の目に晒されながら降旗は叱られ続けた。
その先生は低学年に対しても遠慮ない叱り方をするけど、優しい時は優しい、良い先生だった。
説教が始まって30分程経った頃、先生は泣きじゃくる降旗に区切りをつけるように言った。

「2度とこんな事は無いように、約束出来るな?」
「はいっ……ぐすっ」

担任は降旗の頭を、大きくて優しい手で撫でた。
それから、担任は決心したように口を開く。

「降旗君。これはさっきの事の罰というと彼に失礼だから……、うーん、先生からの頼みごとなんだけど、いいかな?」
「ずびっ……頼みたい事って……?」
「ああ、これなんだが……」

担任は少しちらかった机の上からメモ帳を掘り出し、降旗君でも分かるような簡単な地図を書いて渡した。

「クラスに、赤司征十郎君っていう子が居るだろう?」
「あ……、健康観察の時にいつも居ない子……?」
「そうそう。出席番号が降旗君の一つ後ろの子だ。理由は先生も良く知らないけど、その赤司君は2年生になってから転校してから一週間しか学校に来ていないんだ」
「えー……、そういえばほとんど見た事無い気がするけど」
「そう。それで、その子に学校に来いとまでは言わなくていいけど、降旗君には元気かどうか確かめてきてほしいんだ。先生が行くと、何か気を使われている気がしてならないからね……」

意味深な担任の言葉はあまり気にせず、何に対しても好奇心旺盛な降旗は元気よく返事した。
「分かった行ってみる!」


                   ★


そして、降旗は赤司の家に行くことになり、今に至るのである。
降旗は門の端に、インターフォンと思われるボタンを見つけた。
こんなに大きな家なのだ。もしかしたら、これはインターフォンじゃなくて、何かの爆破装置かもしれない。そんな風に考えていたのだが、インターフォンを押すよりも先に、赤司家の使用人が門の周りでうろちょろしている降旗に気付いて、こちらにやってきた。

「これはこれは、小さい坊やじゃありませんか……。もしかして、征十郎おぼっちゃまのお友達ですか?」

アニメで見るような、金持ちに雇われた執事のような口調をしているその人は、その口調と同じように黒い執事服を纏っていた。

「えっと、お友達……?うん……、えっと、赤司君に会いに来たんだ」
「そうですか……、あのおぼっちゃまにお友達が……。これは失礼、あまりの嬉しさに涙が……」
「大丈夫?」
「……ええ、取り乱して申し訳ございません。私は赤司家の使用人をさせて貰っている林と申します。さぁ、中へお入りください。征十郎おぼっちゃまも歓迎されると思います」

本当かなぁ……、話したこともない俺がイキナリ来ても困るだけなんじゃないのかなー……――そう疑いながらも、降旗は執事の後をつけるように赤司家の中へ入っていった。

「赤司おぼっちゃまご友人が来られておりますよ」

赤司家は外観通り、中も広く、天井は当時の降旗の5倍近くあったように見えた。
赤司の部屋の前で、林さんがノックをする。
数十秒程待った時、ドアが開いて中から赤司がひょこっと顔を出した。
赤司は何も言わずに、降旗の顔をじーっと見ていた。それは当然だ、何故なら林は降旗の事を友人だと紹介したが、降旗と赤司はその時まだ言葉を交わしてすらいなかったのだから。

「……入って」

小さい声でそう言われ、降旗は赤司の部屋に入った。
林はその様子を微笑ましそうに眺めて、「では、私はお茶とお菓子を持ってきます。また何かあったらお申し付けください」と言ってその場をスキップしそうな勢いで立ち去った。

赤司に手を引かれるようにして、部屋に入った。
その部屋は、もう言うまでも無いと思うが、降旗の自宅の全部屋を足しても足りないくらい広かった。
流石の降旗も、ここまで露骨にお金持ちの家そのものだと、何も驚かなくなってきた。

小学校低学年といえば、まだ子供だ。
普通、子供の部屋だったら、おもちゃが沢山あって散らかってて……、そんなイメージだ。実際、降旗の部屋はそんな感じで、他の友達の部屋も大して降旗の部屋と変わらない。
でも、赤司の部屋は違う。
簡素で清潔と言えば聞こえが良いのかもしれないが、降旗がもったイメージは『病院室』だ。必要最低限な物は揃っているが、他は何も無い。
棚やタンスなどの収納スペースがあったから、そこに色々入れているのかもしれないが、それにしても何も無い部屋だ。部屋自体が広い事によって、簡素さが増している。

学習机はあるみたいだけれど、この部屋には来客用のイスは見当たらなかった。
王様が寝ているような蚊帳付きベットに招かれて、二人でベットに腰かけた。

「赤司君の家広いね」

特に話す事もないので、思ったままの感想をぶつけてみる。
赤司は降旗の言葉にきょとんと目を丸くした。

「……? そうなのかな……、僕が行った事ある家は、大体何処もここと同じくらいだったよ……?」
「えっ、そうなの?! 俺は赤司君家みたいな大きな家に来たの始めだよー」
「そっか……。僕の家、おかしい?」
「へ? うーん……、大きいし凄いなぁって思うけど、おかしくはないと思うよー。こんな豪邸、見た事も入った事も無いし、初めてだから嬉しい!」

赤司はこれが本で読んだ、屈託の無い笑顔っていうのなのかな?なんて考えながら、小さく微笑んだ。

「あ、赤司君の笑顔初めて見た! あはっ」
「ご、ごめん……」
「何で謝るのー? 赤司君おかしな子だねっ。笑ってる方が可愛いのにー」
「か、可愛い……?」
「あー、今度は赤くなったー! 赤司君が赤くなったー、何ちゃって」
「も、もう……」
「へへへーっ、あ、赤司君、そういえば赤司君が休んでいる間の宿題プリント持ってきたよー」

足元に置いていたランドセルの中から、少しグチャグチャになってしまった宿題を出した。
赤司は苦笑しながらも「ありがとう」と受け取った。

「ずっと休んでたんだし、分からない所があったら教えてあげるよ―! ……掛算以外なら」
「え、掛算出来ないの?」
「な、な、何だよー! その言い方、赤司君は出来るの?!」

少しムキになって言い返す降旗に、赤司は当然のようにして言った。

「出来るよ? 基本だもん」
「えええええええ、学校休んでた癖にー」
「確かに休んでたけど……、掛算は何年か前に習ったから……」
「な、何だと―?! もしかして幼稚園の頃に習った……とか?」
「うん、四則はもう、4歳の頃に全部習ったから……」
「……し、四則って何だ……」
「足し算・引き算・掛算・割り算の事だよ」
「へ、へぇー……」

赤司の凄さにポカーンとする降旗。
教えてあげるよ、なんて上から見てるような口はもう叩けないと、心から思った。

「……掛算、教えてあげようか? 覚えるだけだけど」
「うー、お願いしますー。赤司君先生―」
「んーじゃ、1×1から始めよっかー」
「ば、馬鹿にするんじゃないわい! 俺もそれくらい出来るもん!」
「ぷっ……、あははっ、冗談だよっ。拗ねないでよー」

結局、降旗は赤司に手伝ってもらいながらも掛算九九を覚える事にした。
根気強く赤司が教えてくれた為、その日は、2の段から3の段まで覚える事が出来た。

「あ、もうこんな時間……」

遠くの壁に掛けてある時計を見て、降旗は残念そうにつぶやいた。
もう時刻は5時を回っている。普段は3時頃に帰ってきているのにこれ以上遅く帰ったら、母親に怒られるかもしれない。
赤司は、この楽しい時間がもう終わってしまうのかと、寂しそうに俯いた。

「明日は、4の段と5の段……はほとんど覚えてるから、6の段を覚えるよ!」
「うん、頑張って」

君なら直ぐに覚えられるよ、と出来る限りの笑顔で言うと、その言葉を聞いて降旗は不思議そうに首を傾げた。

「明日は掛算教えてくれないの?」
「へっ……」
「赤司君が嫌だったらいいんだけどさー。だから、学校行こうよ、明日」
「……それは……、無理……」

降旗の誘いにどうしても頷く事が出来ず、再び赤司は俯いてしまった。
その時の降旗はまだ小さかったけど、それなりに赤司の表情を見て何かを感じたのだろう。

「それじゃあ、明日も俺、ここに来ていい?! そしたらまた会えるじゃんっ。今日は色々あって遅くなってしまったけど、明日は今日より早く来れると思うし!」

その言葉を聞いて、赤司は花を飛ばす程明るくなった。
明日も降旗がきてくれる、その事がどれだけ赤司にとって嬉しかったのか、降旗は今でも理解していないだろう。

「うんっ……! や、約束だよ!」
「おうt、指きりしようよ!」

二人で小指を絡み合わせて、降旗はお決まりの歌を歌った。

「指きりげんまん嘘ついたら……針は痛いから……嘘ついたら、えーっと……、嘘ついたらちゅーするぞっ、指きった!」
「え、え……」
「えへへっ、大丈夫だよー、俺は約束を守る男だからさっ!ちゅーなんて本当にする訳じゃないもん」

降旗は、母親が見ていたドラマに出てくる俳優さんの台詞を真似て言った。
赤司は何処か少しだけ悲しそうに、笑った。

「じゃあ、俺、もう帰らなきゃー」

降旗は床に置いていたランドセルをからうと、赤司の部屋を少し速足で出ようとした。
その頃降旗は母親がこの世で一番怖い人だと思っていたから、少しでも早く帰らなくてはと思っていたのだ。

「ちょ、ちょっと待って……」

降旗の腕を掴んで、勇気を出して声をかけた。
不思議そうな顔で振り返る降旗に、赤司は戸惑いつつも、ある一点をじっと見た。
降旗は、赤司が自分の胸のあたりを見ている事に気付き、「赤司君のえっちー」とおちゃらけた声で言った。

「ち、違う。僕えっちじゃない……。そうじゃなくて……、あの」
「ん?」
「み」
「み?」
「み、みつきって……呼んでもいい?」

赤司は降旗の胸を見ていたのでは無く、胸元に付けている名札を見ていたのだ。
『降旗光樹』という名前を、『こうき』では無く、『みつき』と読まれた事に、その時の降旗は気付けるはずがなかった。
だから、降旗は赤司が自分にあだ名をつけてくれたのだと勘違いして、訂正も何もしなかったのだ。

降旗が少し固まっているのを見て、赤司はひかれたのかと思い、「あ、ごめん……、駄目だよね……」としょげた。
そんな赤司を見て、降旗は笑いかける。

「ううん。俺、そういう風に呼ばれるの初めてだから嬉しい! 俺も、赤司君の事……あ、そういえば下の名前知らないや」
「せ、征十郎って言うの」
「征十郎かー、何かかっこいいなぁー……。んじゃ、征って呼ぶね!」
「うん……!」

ずっと一人でこの広い部屋で過ごしてきた赤司にとって、降旗との時間は宝物みたいな時間だった。
降旗と別れるその瞬間からまだ来ない明日が楽しみで、今日のこの時間が恋しくなる。
こんな感覚は初めてで、赤司にとって新鮮なものだった。

初めての友達。初めてのあだ名。
それが堪らなく嬉しくて、赤司はこれまでで一番の笑顔を見せて言った。

「また明日ね、みつき」

→③
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