夏休み最終日、降旗は赤司の家へやるせない気持ちを抱きながら向かっていた。
いつもは跳ねるように向かっていたのに、この日ばかりはまるで足に錘が乗っているかのようだった。
赤司の家に近づく度に胸の中で何かが騒ぐ。
でも、降旗は決して赤司に会いたくない訳では無かった。
むしろ早く会って話したいのだ。
でも、今日、降旗は赤司に笑顔で話を出来る自信が無かった。

「征、俺が引っ越すって聞いたら、どんな顔するかな」

道端に転がっている小さな石に呟く。
降旗の頭の中には、顔を歪ませる赤司で埋め尽くされていた。
 
                    ★

3日前から昨日まで降旗は家族で静岡に旅行していた。
降旗はただの家族旅行だと思って楽しんでいたが、最終日その気持ちは打ち砕かれた。
父親に突然告げられた言葉。

「9月からは静岡で暮らす事になったんだ」

降旗は最初物事が飲み込めなくて、「え?」と頬をひきつらせながら聞き返した。
東京と静岡の距離は宮崎の端から端より短いし、月1くらいなら東京に遊びに来る事だって出来るだろう。
でも、小2だった降旗にそんな事理解しろという事は無理に決まっている。

引っ越してしまえば、赤司にはもう会えない。
まだ一緒に学校に行けてすらないのに。
赤司をどうにかして学校に連れ出して、一緒に勉強したり、昼休みにはみんなとのバスケにも誘ったりして、輪の中で遊ぶ楽しさ教えてあげたかったのに。
降旗が感情を抑え切れなくて泣きだすと、母も父も困ったような顔して慌てていた。
両親を困らせたい訳じゃなかったけど、降旗の涙は一向に引っ込む事はなかった。

                    ★

――昨日寝る直前まで泣いてたから、目が腫れてるのバレ無いかな。
赤司は心配してくれるのか、それとも気付かないフリしていつも通り笑ってくれるのか……、そんな事ばかりを考えていた。
いくら重たい足取りだとしても、一歩一歩前に進んだら、いずれは赤司の家に着いてしまうのである。
見なれた赤司の家がこれ程大きい物だったのだと思ったのは、初めてここに来た時以来である。

「征―、やっほー!」

パンクしてしまいそうな心を無視して、降旗は普段と変わらない明るい声と笑顔で赤司の部屋に入った。
赤司もいつも通り、降旗が部屋に入ってきた瞬間、嬉しそうに振り返り降旗の方に駆けてくる。

「みつき、久しぶり! 3日間本当に寂しかった」
「ごめんね。本当は征も一緒に連れて行きたかったんだけどさ―。俺も旅行は楽しかったけど、ずっと征、今頃何してるのかな―?って考えてた!」
「本当? 僕は旅行に行かなくても、ずっとみつきの事考えてるけど」
「えー、じゃ、征の頭の中は俺でいっぱいなんだねー?」
「な、何か、そういう風に言われると、恥ずかしい事言ってしまったような気分になる……」
「実際、結構大胆な事言ってたよ」
「う、忘れてください……」
「んー、忘れないけどさ?」
「いーじーわーるー!」

いつも通りの他愛もない会話を続ける度に、胸がチクリと痛む。
赤司は降旗が居なくなるなんて全く知らないので、いつも通りの愛くるしい笑顔を向けている。
降旗はその笑顔を一秒でも長く、瞳の中に収めていたいと思っていたが、彼の笑顔を見ているとどうしても視界が歪んでしまいそうになる。
また静岡に向かわないといけないから、今日はあと30分しか居られない。
その30分の間に、赤司にちゃんと「さようなら」を告げなくてはならないのに、そう考えている心とは裏腹に、降旗はいつも通り赤司と話をする。その口はどうしても、現実を向いてくれなかった。

時が経って、降旗は時間を気にしてそわそわし始めた。
――どうしよう、言わなきゃ、一言「俺、引っ越すんだ」って言えばいいのに。

「あのね、みつき……」
「ん、なーに?」

降旗が切りだすよりも先に、赤司が口を開く方が早かった。
言い出すタイミングを失ってはしまったけど、内心ホッとしている自分が居た事に、降旗は自分自身に嫌悪感を抱いた。

「僕、明日から学校に行こうと思うんだ……」

降旗の心で何かが壊れる音がした。
赤司は体の弱い母親と離れるのが嫌で、ずっと学校に来ていなかった。
夏休み入る前も、入ってからも、降旗は赤司を学校に連れ出そうと頑張っていたけど、赤司がこんな風に言ってきたのはこれが初めてだ。
これは自分にとって喜ぶ事なのだと、降旗は自分自身に言い聞かせるものの、心はどんどん濁っていく。

――俺の居ない学校に征が行って……、それで征は他の友達作っちゃうの? 

『征はイイ奴だから、友達だって沢山出来るって――』少し前にこう言った事を思い出し、何を考えているのだろうと自分を抓りたい気分になった。
この頃の降旗には、自分が赤司に対して独占欲を持っている事など、到底気付く事なんて出来ない。

――俺が居なくなったら征は一人になってしまう。それなら、学校に行って沢山友達作ってくれた方が征にとっても良い事なんだから……。喜ばなくちゃ……。

「みつき?」

赤司が不思議そうな顔で降旗の顔を覗き込む。
降旗は自分の気持ちを消しさるように二カッと笑った。

「俺、超嬉しいよ! 征が学校来るって言ってくれて!」
「本当?」

赤司も嬉しそうに振舞う降旗を見て、パーッと明るくなる。
彼の花のような笑顔を見て、降旗は ゛これで良いんだこれが正しいんだ ゛と自分自身に言い聞かせる。

――だって、赤司は笑ってくれた。俺は赤司のこの笑顔が見たくて、ずっと側に居たんだから。これが正しくない訳がないもん。

「じゃあ、明日からみつきと一緒に居れる時間が長くなるね!」

赤司はその事を純粋に嬉しいのだろう、でも降旗にとってその言葉は胸に突き刺さる物以外の何でも無かった。

「そ……、そうだね」

精一杯の笑顔を向けるけど、内心は泣きたい気持ちでいっぱいだった。
そろそろ帰らなくてはならないと、時計を気にする。

――ごめんね。征。

心の中で小さく呟く。
降旗は、ベットから立ち上がった。

「どうしたの、みつき?」
「ごっめん、征、俺宿題全然やってないからさー、今日はもう帰らないといけないんだー」
「そっかぁ……、残念だけど明日も会えるから気にしないでいいよ」

チクリチクリ、胸の痛みは増していく。
あと何秒、自分は赤司の顔を見ていられるのだろうかと考えると、ギリギリの所まで溜めていたものが全て出て来そうになる。

「征、これあげる」

降旗は自分の手に乗っかる程の小さな包みをポケットから出して、赤司に渡した。
赤司が不思議そうに降旗を見上げる。

「これ何?」
「栃木のおみやげ! と言っても、あんまり静岡に関係するものじゃないけど」
「開けてもいい?」

降旗がうなづくと、赤司が丁寧に包みを開いた。
中から出てきた、可愛いサンダルのキーホルダーに、赤司が嬉しそうに頬を染める。

「みつき、ありがとう! 大事にするね」

赤司が急に飛び付いてきて、降旗は軽くよろける。
こんなにずっと一緒に居たのに、赤司が自分よりも小さかった事に今頃気づいた。
胸に収まる赤司が可愛くて、ずっとこのままでいいのに。今地球が壊れたらずっと一緒なのに。などと、くだらない思考に至った。

「でも、何でサンダル?」

そう聞いてきた赤司に、降旗は「何となくだよ!」と返した。

本当は少しそれを選んだのには理由があった。
降旗は恐竜のキーホルダーや、車の方が興味があったのだが、どうしてもそれが目に入ってしまった。
以前、二人でシンデレラの絵本を読んでいた時、赤司が「現実じゃ、ガラスの靴があってもそんな簡単にたった一人を見つける事なんて出来ないよ」などと夢の無い事を呟いていた事を思い出したのだ。
降旗は、「別にガラスの靴なんてなくたって、世界中の何処かに居るのは確かなんだから、見つけられるっしょ? 王子様はシンデレラに触る事が出来たんだから、シンデレラがユウレイだったなんて事もないし」なんて言い返したら、爆笑されてしまったのだ。

実は、降旗は、赤司のキーホルダーと対になる右足のサンダルを持っている。
もしも、赤司が変わってしまっても、これさえ見れば分かるように。

降旗は意を決して、赤司から離れる。

「それじゃ、征、ばいばい!」
「うん、ばいばいみつき」

この時、降旗も赤司も「また明日」とは言わなかった。

→④
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